レンの屋台-yum yum-

ブログなるものをやってみたのです

雑食ポジションの屋台主の悩み

雑食ポジションである以上、

永遠といっていいほど付きまとうのが

「たいして推してもないのに」

 という声。

 

正直、これは頭を抱えるものですな…

 

当の自分はどうなんだと聞かれたら、

ずっと追いかけていつつ

学校の友達からのおすすめや現にフォロワーさんのツイで

「なるほど!今度聞いてみよう」

といろんな曲に出会い、そこのグループの魅力を知り、

いつのまにかペンになっていたことが多いです。

 

というかあたくしがそういう環境だったから言えるのであって、

すべてのKPOPをこよなく愛する人がそうなのかと聞かれたら不確定性が生じますな…

 

意外とこれって新規古株問題に関連しそうだなと。

たまたま見かけたツイで「なぜそこまで新規をつぶすのか」という動画があって、そこで改めて考えさせられたんです。

 

確かに古株だったらものすごい愛を感じるし、それだけ追いかけられるような素敵な推しであることが伝わるし、イベントの経験が多くて何度でも推しにあってるとか、いいことが多い。

 

一方新規はどうなんだろう。

いろんな人に教えられて、テレビでたまたま見かけて気になって、youtubeでおすすめに出てきて、

たくさんのきっかけがあって今の推しに出会ってハマっていく。

吸収量がたくさんあって、いろんなグループを知って自分の知っている音楽のレパートリーが拡大していく。

 

個人的にはアユクデで違うグループの推し同士絡んでほしいという…(*´艸`)

 

それぞれにいいところがあるのに、なぜか新規古株でもめてしまう。

推測するに、根本は「お互いに分かり合えない」という前提条件があるということに

もめてしまう要素があるのではないかと。

それこそ古株と新規との「時間」の差が物語っていると思います。

 

言い換えるとするなら、「時間」というお金の貧困といったところでしょうか。

お金持ちには貧乏人の気持ちが分からない。

貧乏人にはお金持ちの気持ちが分からない。

ただお金持ち、貧乏人それぞれにいいことがある。

 

ここに自分が付け加えるなら「中間層」の存在を書き記すと思います。

中間層はお金持ちでもなく貧乏人でもない、ただし双方の状況を理解できる。

中間層を通してお金持ちは貧乏人のことを理解し、

中間層を通して貧乏人はお金持ちのことを理解し、

お金持ちと貧乏人が互いに学びあう状況を作り出していく。

 

この中間層の存在は今のオタクの中で何を示すのかはまだ定義できないです。

雑食でもあったり、音楽に精通している方だったり、たくさんの人がいるわけで。

 

うーん、非常に難しい。。。

にゃむにゃむ(´~`)モグモグ

 

これは非常に難しい問題なので

コメントに自分はこうだと思うってことを書いて頂けると嬉しいです。